対局を知ること
崇高なものには対局はない。
対局は自分を知るために仕組まれた一つの問いである。
嫌なものを見たときに、対局の中に自分を見つける。
自身を見つめ、真なる願いを考え、
自分が何者かを、何を成す人物かを思考すること。
その崇高なものの先には、対局はなくなる。
その先はジンテーゼになる。
GHACプロジェクト推進会議 風見先生講話より
Gaiable Wind 2月16日 第132号
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編集者・出井庸喜
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